会長の時間/2023年8月24日
今月も会員増強月間、真っ最中であります。
前回の会長の時間でも少し触れましたがロータリークラブに触れ、体感しその哲学を理解をされ、実践されることで人生の大なり小なりの糧になること。
なぜならばそのような先輩方ばかりがおられるからです。
と申し上げました。
また、ロータリー情報委員会タイムでのロータリーの精神や奉仕について考える例会であったと思います。
決議23・34というロータリーについての理解と解釈を明確に事実化する論争や目的について論争があったほどロータリーの哲学的な活動については奥深いものがあることは入会間もない会員の皆様も感じられたと思います。
このような時代的な変化や歴史は多くの文献や、論調がありますので今後も情報として手に入れ、自分で考えてみる必要はやはりあります。
しかし、どの文献や活動にも私たちの何が必要で何を資源として重要にするかはあまり聞いたことがありません、「入ればわかる」「やってればわかる」では本当に修行になりつつあります。
しかし、クラブの親睦や奉仕活動、ひいては会員増強の大事さを私は考えるに、私は前回のロータリー情報委員会タイムでの大賀委員長への謝辞総評でも申し上げましたが考えるところ地域社会で生業をなす皆さんの「持つ」部分と「在る」部分で分けるとすると、「在る」部分だと思っています。
この「在る」部分とは精神や心などとは少し違い、その人に備わっている発揮できる「力」です。
もう少し細かくすると、長年の生業や社会環境で自身が経験されて自らが体内や精神・心とともに育てた誰にもまねできないない「らしさ」や「特徴」ある資源です。
当たり前のことだといわれるかもしれませんが、「持つ」と比べて整理することが重要ですが、よくわかると思います。
「持つ」や「持っている」は瞬時に誰にでも交換や代替ができたり、いえばすぐ手に入るものと思ってください。
家や車、お金、土地、肩書、会社、肩書や会社?と思うかもしれませんが一生、身につかないこと、また、単純に周りがそれで判断する基準になりがちなものも含みます。
勿論ここまで「持つ」までには「在る」からであることは間違いありません。
「持つ」こと非難をしているわけではありません。
ただ、「持つ」ことを目標にしていると「在る」ことを成長させる機会よりも「持つ」ひとや持つために努力しがちになることなのです。
私がそうでしたから。
「在る」ためには自身で知らないうちに時間と経験を使って生成していくものだと思います。
しかし、良いことだけではなく悪いことや苦手なことも自分の中の変化ですので中々、生成した後は変更がききません。
これらは特に生きている中で培われていきます、特に起き活動している間に家庭で、特に生業の中での体験が影響を与えます。
特技や技術、人脈、ノウハウ、交渉力、知識力など誰にも盗まれないその人特有のなんとか力といえるものが「在る」ということです。
ロータリーの活動や奉仕の原点をこの「在る」に一度注目してみると、私は理解ができました。
活動の資源はロータリアンの「持っ」っているものよりも、「在る」ものではないかということです。
社会奉仕団体との決定的な違いはそこであり、なぜ、職業倫理と職業奉仕の向上と熟成をすすめ、超我の奉仕を実践することで何が備わるのか。
ロータリーの中核的価値観はどこに備えるべきなのか。
皆さんの「在る」がすばらしくなる為なのだと。